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矛盾について(その533) ブログトップ

1月18日(水) [矛盾について(その533)]

 次の親鸞と唯円の問答はおもしろい。
  親鸞:唯円房はわがいふことをば信ずるか。
  唯円:さんさふらふ。
  親鸞:さらばいはんこと、たがふまじきか。
  唯円:つつしんで領状まうしてさふらふ。
  親鸞:たとへばひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし。
  唯円:おほせにはさふらへども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼへずさふらふ。
  親鸞:さてはいかに親鸞がいふことを、たがふまじきとはいふぞ。これにてしるべし、なにごとも、こころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし。
 いかがでしょう、「なにごとも、こころにまかせたること」ではないという思いは否定しようもありません。しかし同時に、そんなふうに捉えてしまったら、ただうなだれて生きていくしかないじゃないか、ぼくらには自由というものがあるはずだという思いも込み上げてきます。宿業と自由、これをどう考えたらいいのでしょう。ここでも生活と行動を分けることで何かが見えてくるような気がします。

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