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1月19日(木) [矛盾について(その534)]

 宿業と自由。生活は宿業の色に染まっていますが、行動には自由があります。
改めて確認しておきますが、生活と行動と言っても、そうはっきり分けられるものではありません。生活の一つひとつを行動と捉えることもできますし、行動とはいうものの生活の一環と見ることもできます。ただ、ぼくらが日々何気なく暮らしをたてている側面を生活と呼び、思い立って世のため人のために何かしようと思うようなことを行動と呼んでいるのです。
 以前、生きることを“be”と“do”に分けて考えたことがありますが、生活と行動の区別と重なるのではないでしょうか。これも明確に分けることはできませんが、ただ“be”は“do”の土台となっているということに注目したわけです。
 さて行動“do”の方から見ていきますと、ここには必ず自由の感覚があります。というよりも、まず不自由の感覚があり、それを打破しようとして行動に立ち上がるのです。不自由の感覚と言いますのは、何か行く手に障害があって思うに任せないということです。そんなとき、その障害物を取り除こうと行動します。そして首尾よくそれを達成できたとき、自由の感覚が込み上げてくるのです。これは「思うまま」という快感でしょう。逆に不自由の感覚は不快感です。
一方、生活“be”の方はと言いますと、ここには最初から宿業の感覚が染み付いています。そもそもぼくがこの世に生まれてきたこと自体「こころにまかせたること」ではありません。気がついたらすでにこの世に存在していたのです。


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