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1月22日(日) [矛盾について(その537)]

 弥陀の本願なんてただの神話か、それとも歴史的現実か。
 その中で生きていると感じるかどうか、これです。歴史的現実とは、いやでもおうでもその中で生きているということです。生きていかざるをえないということです。2011年の3月に福島第一原子力発電所の原子炉建屋が爆発し、大量の放射性物質が大気中に放出されたことは歴史的現実です。それがどんなに不幸なことであるとしても、その中で生きていかざるをえないのです。
 これが歴史的現実ということです。
 一方、たとえば天孫降臨によって神州日本ができたというのは神話でしょう。いや、それを歴史的現実と感じている人がいるかもしれません。その人は、自分自身が神州日本に生きているという実感を持っているのでしょう。天孫降臨をまざまざと自分の身の上に感じているのでしょう。しかしぼくにはその実感はありませんから、天孫降臨は『古事記』に記録された神話でしかありません。
 神話だから意味がないということではありません。そんなものは捨ててしまえとは全く思いません。それどころか、古代人の想像力が生み出した作品として、ギリシア神話やアイヌ神話と同じように、そこに深い真実を読むことができると思います。
 でも、歴史的現実とはまるで違うものです。
 もう一度言います、その中に生きていると感じるかどうか、そこが分かれ目です。感じられたら歴史的現実で、感じられなかったら神話。

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