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2月5日(日) [矛盾について(その551)]

 もし医者に相談せず、まあ小便の回数が増えるのは老化のあらわれかと受け流しておけば、この間の結構面倒くさい検査を受けることもなく、かなりの額の医療費も払わなくて済んだわけです。実際、こんな検査体制ができるまでは、みんな老化現象で済ましてきたわけでしょう。もちろん、こうした検査のおかげで前立腺癌を早期に発見できた人にとっては、医学技術の進歩がどれほど有り難いものかは言うまでもありません。ですから検査を受けて癌でないことが分かったら、よかったと喜べばいいのかもしれません。
 しかし…、という思いが押し寄せてくるのは何ともなりません。
 そんな折、『「痴呆老人」は何を見ているか』(大井玄著、新潮新書)という本を読み、考えさせられました。著者は痴呆症(認知症という言い方が一般化していますが、これでは何も表したことにならないという見解を著者は持っています)を考えるときに、その中心症状(要するに認知能力の低下)と周辺症状(被害妄想、夜間せん妄など)を分けることが大事だと言います。周辺症状がなく、ただ認知能力が衰えるだけですと、これは誰でも老いとともに多かれ少なかれ、遅かれ早かれ通らなければならない道だと考えることができます。本の帯に、人は皆、程度の異なる「痴呆」である、とあります。
 沖縄でそのような老人を地域ぐるみで支えているケースが紹介されています。「佐敷村(沖縄県島尻郡)のような敬老思想が強く保存され、実際に老人があたたかく看護され尊敬されている土地では、老人に精神的葛藤がなく、たとえ器質的な変化がおこっても、この人たちにうつ状態や、幻覚妄想状態は惹起されることなく、単純な痴呆だけにとどまると考えられるのである」(琉球大学精神科の医師の報告)。

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