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矛盾について(その554) ブログトップ

2月8日(水) [矛盾について(その554)]

 ヴィドゲンシュタインはこう言っていました、「幸福な人は何が起ころうとも幸福であり、不幸な人は何が起ころうとも不幸である」と。この示唆に富んだことばをこう読み替えることはできないでしょうか、「健康な人は何が起ころうとも健康であり、病気の人は何が起ころうとも病気である」と。
 病気かそうでないかは「価値」の問題であり、したがって主観的だと言ってよさそうです。ただ、主観的とは言っても、自分一人がそう思っていればいいということではなく、周りの人たちの支持がなければなりません。「私はそれでも私なのよ」と言っても、周りがそれを承認してくれなければ、それこそ単なる強がりでしかなくなってしまいます。「私は末期がんでベッドから離れられなくなったけど、それでも私であることには変わりない」と思っていても、いや、あなたはもうあなたではなく一人の末期がん患者にすぎないと見なされてしまってはどうしようもありません。
 もう一度沖縄の痴呆老人たちのことを考えてみましょう。最近自分の名前も忘れるほどボケが進んだけれど、でも私であることに変わりはないと思っている老人たちと、それをいずれ自分たちも通る道としておおらかに受け容れている家族や地域の人たち。このつながりがあればこそ、痴呆は病気でも何でもなく、ただの老化に過ぎないのです。逆に言いますと、周りの人たちが痴呆を異常と捉え、もうあの人はあの人ではなくなってしまったと思うようになりますと、本人も「私はそれでも私」と自分を支えることができなくなります。

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