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2月9日(木) [矛盾について(その555)]

 「私はそれでも私」と認められるのと、一人の「末期がん患者」や「アルツハイマー病患者」として扱われるのとはどう違うのでしょう。
 前に「一般」と「普遍」の違いを考えたことがありますが、「一般」には例外がつきものであるのに対して、「普遍」は例外を許さずすべてを包み込むのでした。一人の「末期がん患者」や「アルツハイマー病患者」として扱うのは、例外扱いするということです、例外として「一般」から隔離するということです。それに対して「私はそれでも私」と認めるのは、どんなに普通と違っていても同じ仲間として包み込むということです。
 「うつ病」について、同じ本にこんなことが書いてあります、「かつて青年期の煩悶などは、人間的成長を遂げるために必要なステップと考えられていましたが、現在は精神的苦痛に価値を認めない傾向が強くなりました。とすれば、一番手っ取り早い対応はその苦痛を『病気化』することです」と。
 精神的苦痛を感じている本人としても、それを病気と認定されることで安心するという心理があります。「ああ、これは病気なんだ」と思うと何だかホッとする。これは自らを例外として「一般」から隔離しているのです。もしこれが誰でも通る道だとすれば、どうして他の人たちは平気そうなのに自分はこんなに苦しいのかと苦痛が倍加しますが、これが病気だとすれば、苦痛と折り合いをつけられるのです。
 もう一度「健康な人は何が起ころうとも健康であり、病気の人は何が起ころうとも病気である」に戻りますが、何が起ころうと健康だと思える人と何が起ころうと病気だと思える人を分けるのは何でしょう。

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