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2月10日(金) [矛盾について(その556)]

 何が末期がん患者をして「私は本当はとても健康です。この問題はあるけど、私はそれでも私なのよ」と言わしめるのか。それはやはり自分が「普遍」の中にあたたかく包み込まれていると感じられるかどうかということだと思います。そう感じられさえすれば、何が起ころうと健康と思えるのではないでしょうか。
 さて、この話の発端(2月4日)に戻りますと、いよいよ2泊3日の検査入院となりました。前立腺の組織を一部とって調べるだけだから、そうたいしたことはなかろうと高をくくっていたのですが、実際は結構たいそうなものでした。坐骨に麻酔を打たれた後、肛門から何かが入ったと思うと、ビシン、ビシンと何とも不気味な音を立てて針が何回も打ち込まれているようです。高々30分ほどだというものの、いやはや、もう二度と経験したくないと思いました。
 血尿がなかなかおさまらず、不安な2週間を過ごしましたが、ついに結果を聞く日がやってきました。検査入院するまでは、どんな結果になろうと「そのときはそのとき」と構えていたつもりですが、いざ結果を聞く段になると、やはり落ち着きません。予定時刻を過ぎても一向に呼ばれず、じりじりとした時間を過ごしました。そして「異常は認められませんでした」のひと言で、フッと身が軽くなったように感じたのです。
 「何が起ころうと健康と思える」ことについて論じながら、わが身のこととなるとだらしないものだと恥じ入りました。佐野洋子の「いつ死んでもいい、だけど今日でなくていい」を思い出しました。

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