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2月11日(土) [矛盾について(その557)]

 話は変わります。
 石原慎太郎都知事が東日本大震災の直後に「あれは日本人の我欲に対する天罰だと思う」と発言して物議をかもしたことはよく知られています。またバカなことを言って、と一笑にふし、都知事に対する不快感を一段と募らせただけで、そこに何か考えなければならない内容があるとは思いませんでした。
 ところが最近『犠牲のシステム 福島・沖縄』(高橋哲哉著)という本を読んで、笑って済ましているわけにはいかないということに気づかされました。そのことを書いておこうと思います。
 この本は、関東大震災(1923年)が起こったとき、あの内村鑑三が天罰論を展開していたことを教えてくれたのです。ぼくの中で内村鑑三は日露戦争に対する非戦論の論者として、そして無教会主義のキリスト者として輝いていました。その人が石原都知事と同じ論を打ち出していたと知って正直驚きました。内村鑑三は一体何を言っていたのか、本の中から引いてみます。
 「其の議会と市会と、其の劇場と呉服店と、そして之に出入りする軽佻浮薄の男女と、彼等の崇拝する文士思想家と、之を歓迎する雑誌新聞紙とを御覧なさい。もし日本が斯かる国であるならば、日本人として生まれて来た事は恥辱であります。震災以前の日本国、殊に東京は義を慕う者の居るに堪えない所でありました。」

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