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2月17日(金) [矛盾について(その563)]

 いかなる犠牲もない国家社会が成り立つかどうか。そんなことはありえないというのが犠牲のシステムの前提でした。それに対して著者は、誰も犠牲になろうとしないのなら、その選択肢は排除すべきだと言います。日米安保や原発から脱却すべきだと。
 ぼくとしては、著者の立場に異論があるわけではありません。どれほど困難でも、国内に外国軍の基地があるという異常事態からは抜け出さなければならないと思いますし、みんなが近くにあるのはいやだという原発も廃炉にしなければならないと思います。
 ただ、いかなる犠牲もない状態はありうるかどうか。
 前に平和や平等について考えたときに、それを目指すことの大切さと、それがほんとうに実現可能かどうかとは切り離さなければならないと述べました。戦争のない状態を目指すべきです。それには誰も異存がないでしょう。でも、ほんとうにそういう状態がありうるのかについては議論が分かれるのではないでしょうか。
 戦争を起こす要因は社会のあり方の中にあるのだから、それを変えることによって戦争のない状態を生み出すことは可能だという考え方もありますし、いや、どんなに理想的な社会になったとしても争いの種は尽きないと考える人もいるでしょう。平等についても、人は平等であるべきだという点では一致しても、ほんとうに平等な状態がありうるかどうかでは意見が分かれると思います。
 いかなる犠牲もない状態がありうるかどうかも本質的に同じ問題です。

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