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2月18日(土) [矛盾について(その564)]

 いかなる犠牲もない状態がありうるか、それともありえないか。
 ぼくはと言いますと、ありえないという側に立ちます。大急ぎでつけ加えますが、犠牲を出すようなシステムはできる限りなくさなければならないと思います。でも、どこまでいっても犠牲は残るのではないかと思うのです。
 なぜか。
 人間には煩悩があるからです。「オレがオレが」という煩悩の虫がぼくらのこころの中にいる限り、人より少しでも前に出ようとするからです。自分が人より前に出るということは、自分より後になる人がいるということです。ぼくには椅子取りゲームが頭に浮かびます。あのゲームは誰かを犠牲者にするゲームですが、あれは人生を象徴しているからこそ、ワクワクしておもしろいのではないでしょうか。
 ぼくらには誰かを犠牲にすることを喜びとする根性がある!
 ぼくらの中に誰かを犠牲にすることを喜ぶ根性があるからと自覚するからこそ、できる限り犠牲を出さないようにしなければならないと思うのではないでしょうか。自分は悪人だと自覚するからこそ、できるだけ悪いことをしないようにしようとブレーキがかかる。自分は悪人だと思っていない人が、平気で悪いことをするのではないでしょうか。
誰も犠牲にならないような社会なんかないと思うからこそ、できるだけ犠牲のないようにしていかなければならないと思うのです。

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