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2月25日(土) [矛盾について(その571)]

 このあいだ、ある場でこんなことが話題になりました。
 あの東日本大震災が起こったとき、着の身着のままで生き延びた人たちが、不自由きわまる避難所の中で驚くほど秩序正しく生活していた様子が海外に報じられました。それが世界中の多くの人たちから称賛され、義援金もたくさん寄せられたということです。あのドナルド=キーン氏も日本人の倫理性の高さを絶賛していました。ぼくらはそれを聞き、それほど褒められることかなと面はゆく感じながらも、日本人として嬉しく思いました。
 さて議論になったのは、あの絶望的な状況の中でどうして黙々と列をつくり食べものの順番を待つことができるのかということです。どうして体育館の狭いスペースをみんなで分けあえることができるのか。外国の人たちが避難所の映像に驚くのは、自分たちならあんなふうに整然と順番を待つことはできないだろう、寝場所を譲り合うことはできないだろうと思うからでしょう。きっと我慢できず秩序を乱す人たちが出てきて、もっと混乱した状況になるのではないかと心配するからに違いありません。
 東北の人たちは我慢強いのだろうか、日本はもともと災害が多いからあのような状況に耐える心構えが備わっているのだろうか、などいろいろなことが思い浮かびますが、ぼくは日本人の底にある宗教性というものを感じるのです。「えっ」と思われるかもしれません。日本人は無宗教だと言われます。イスラム世界へ行けばはるかに強烈な宗教性に出会うでしょう。どうして日本人に宗教性があるなどと言えるのか。

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