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3月1日(木) [矛盾について(その576)]

 ここぞという時には怒らねばならないのではないか。
 子どもにとって、いつもガミガミ怒っているお母さんはたまりませんが、でも大事なところではしっかり怒ってほしいとも思う。厳しく怒ってくれた教師こそ、ほんとうに自分たちのことを思ってくれていたのだと感じる。
 さてしかしそうなりますと、怒りはぼくらが怒ろうと思うから怒るのであることになります。ここは怒らなければならないから怒る、ここは怒らなくていいから怒らないというように、自分の意思でコントロールできると。
 議論がもとに戻ったようです。
 怒りを形として表す(怒鳴る、手を出す等)ことはともかく、ムラムラと湧き上がる怒りそのものは向こうから勝手にやってきて、気がついたらもう怒りの虜になってしまっているということを確認したのでした。ところがここにきて、またもや「怒らなければならないから怒る」こともあるのではないかとなってきた。
 ネガティブな怒りとポジティブな怒りがあるのでしょうか。ネガティブな怒りは向こうから勝手にやってきてぼくらを虜にしてしまうが、その一方でポジティブな怒りがあり、これは理不尽なことに対してこちらから積極的に怒りを向けるのだと。
 前に戦争について議論したとき、一般に戦争は避けなければならないが、ときにはしなければならない戦争もあるのではないかという考え方を検討したことがありますが、それとダブるのです。「正義の怒り」というものがあるのかどうか。

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