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3月3日(土) [矛盾について(その578)]

 ぼくは藤沢周平が好きで、ときどき彼の小説世界が恋しくなり、本を手に取ります。この間などは、これはまだ読んでないなと思って、やれおもしろいと時間を忘れて読み進めたのですが、もうじき終わりという段になって、まてよ、このシーンは前に読んだ覚えがあるぞと気づきました。
 やれやれと思いましたが、考えてみますと繰り返し何度も新鮮に楽しめるのですから、これほど安上がりの娯楽はないとも言えます。井上ひさしが言っていますように、「土曜の午後のひとときを過ごすのにはもってこいです」。
 彼の小説は「武士もの」と「町人もの」とに分けることができますが、ぼくは「町人もの」に惹かれます。どうにも切ないのです。この切なさは、主人公たちが背負っているどうしようもない「定め」から来るようです。
 劇作家の山田太一がテレビ番組の中で「ぼくは人間の宿命を描きたい」と言っていましたが、詰まるところ、文学の本質はそのあたりにあるのではないでしょうか。文学の原点とも言うべきギリシア悲劇が人間の宿命を描いているのは言うまでもありません。
 ところで、いまはもう見向きもされなくなりましたが、ぼくらが若かった頃は実存主義が花盛りでした。「実存主義はヒューマニズムである」というサルトルの宣言に若いぼくらは酔いしれました。もう一方の雄であるマルクス主義に対して自由や主体性を巡って論戦をもちかけたのも実存主義でした。
 われらの生きる道はまえもって定められているのではなく、われら一人ひとりが無から作っていくのだという考え方は、ぼくらに心地よく響いたのです。高校教師のぼくは生徒たちに「実存は本質に先立つ」というサルトルのことばを熱っぽく語りかけていました。

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