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3月5日(月) [矛盾について(その580)]

 定めを乗り越えるのと、受け入れるのと。
 両者は見かけほどの違いはありません。乗り越えると言っても、文字通りの意味で乗り越えられると思うのは妄想でしょう。また受け入れると言っても、自分の意思を放棄して操られるままということはありません。むしろこう言えるのではないでしょうか、受け入れることがほんとうの意味で乗り越えることであり、乗り越えることはほんとうの意味で受け入れることだと。
 藤沢作品を例に考えてみましょう。切ない作品ばかりでどれにするか迷うのですが「約束」を取り上げます。
 登場人物は年季奉公が明けたばかりの錺師(かざりし)職人、幸助と、幸助の幼馴染の娘、お蝶。五年前のある日、お蝶が幸助の奉公先を突然訪ねてきて、引越しすることになったと告げます。お蝶は蠟燭屋の娘でしたが、商売が傾いて店をたたまざるをえなくなり、お蝶も料理屋に奉公しなければならなくなったのでした。それを言うためにはるばる訪ねてきてくれたお蝶がいじらしく、幸助は後を追ってこう言います、「五年経ったら、二人でまた会おう」。年季奉公が明けた日に、小名木川にかかる萬年橋の上で。
 二人はこの約束を心の糧として五年の歳月を過ごすのですが、その道は平坦なものではありませんでした。幸助は親方の妾宅への走り使いを頼まれている間に、妾おきぬに誘い込まれることになるのです。「お蝶にあわせる顔がない」と思いつつ、その後も何度かおきぬにかわいがられます。一方、お蝶はと言いますと、両親が病気になり、ちゃんとした医者にかけるお金が欲しかったところへ、法外な額でお蝶を誘う客が現われます。それを機に、金のために身を売ることが重なるのです。

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