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矛盾について(その584) ブログトップ

3月9日(金) [矛盾について(その584)]

 「悪いことじゃないんだけど、なにか浮かない感じ」という言い回しで彼が言おうとしていることはよく分かります。
 例えば彼の初期の評論「転向論」なんかは、「非転向」を貫いた不屈の闘士たちが英雄視されることに「なにか浮かない」ものを感じ、それを形にしたものでしょう。少し横道にそれるかもしれませんが、彼の所説を要約しますと、佐野学・鍋山貞親らの転向と小林多喜二・宮本顕治らの非転向とは一見対極にあるが、実は同根であるということです。
 それは日本の現実社会、そこから生まれる一般大衆の意識との思想的対決を回避しているという点です。佐野・鍋山らは日本社会の実体(天皇制に集約されるもの)を「つまらぬもの」としてまな板にのせようとしなかった(見くびった)し、小林・宮本らは「イデオロギーの論理」にたてこもり、現実や大衆を外から断罪するだけで、いずれにしてもそれらと本気で接触しようとしなかったということです。
 小林多喜二の作品を読んだときに感じたことと重なると思いました。
 ぼくには代表作とされる『蟹工船』よりも『党生活者』の方が読みやすかったのですが、この作品には複雑な思いが湧き起こりました。主人公とその仲間たちの緊迫した日々の描写に引き込まれていくのですが、その一方で何とも言えない反発も感じたのです。プロレタリアートの解放のために個人の生活のすべてを犠牲にする主人公、それは取りも直さず小林多喜二その人ですが、その英雄的な生き方に対してどうしようもなく湧き上がってくる違和感。吉本流に言えば「浮かない感じ」です。

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