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3月23日(金) [矛盾について(その598)]

 緊急の課題と永遠の課題。ここから、前に考えた「犠牲」の問題をもう一度検討したいと思います。誰かを犠牲にしなければ自分が生き残れないようなシステム、例えば福島の原発や沖縄の米軍基地などについてです。このようなシステムはなるべく早くなくしていかねばならない―それは緊急の課題でしょう。でも、個々の犠牲のシステムをなくそうとするとき、どこまでいっても何らかの犠牲は残ってしまうのではないかということ―これが永遠の課題です。
 誰かが緊急の課題に取り組んでいるときに、永遠の課題を持ち出すのは、一生懸命頑張っている人の足を引っ張るような感じがします。目の前にある犠牲のシステムを解体しようとしているときに、犠牲そのものがなくなることはありえないと言うことは、努力に水を差すような気がします。医者が「長生きしたいのなら、煙草はやめなさい」と忠告しているのに、傍から「それが分かっていて吸いたいというのだから、吸ってもいいんじゃないか」と言うのは何か気がひけます。
 でも眼前の緊急の課題しか見えなくて、永遠の課題があるなんて思いもよらないことが、肝心の緊急の課題の解決を難しくさせることがよくあります。自分は誰かを犠牲になんかしていないと思っている人が、平気で人を犠牲にするものです。逆に、自分は誰かを犠牲にせざるを得ないと思っている人は、できるだけ人を犠牲にしないように生きようとするのではないでしょうか。永遠の課題があることを自覚していてこそ、緊急の課題に、それがいかに困難であっても、根気よく取り組むことができると思うのです。

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