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3月27日(火) [矛盾について(その602)]

 ジャック=デリダというフランスの哲学者は、ぼくらがことばを発するとき、必ずそれに先立ってどこかから呼びかけられていると言います。ぼくらが何かを言うとき(書くときも同じですが)、その前に「ウィ(はい)」ということばが隠れていて、それは誰かからの「アロー(もしもし)」という呼びかけに対する応答のことばだと言うのです。
 ことばというものは、ぼくらがそれを発するより前に、まずどこかから聞こえてくるものだということ。聞こえてくるものだから、それに応えようと一生懸命ことばを探すのだということ。ここには大事な示唆があります。ムハンマドもアッラーからの呼びかけを聞いたのです。おもしろいのは、その呼びかけが「読め」というものだということで、文字の読めないムハンマドはこの呼びかけに戸惑ったのですが、でも文字が示されたのではなく声が聞こえた。
 誰かから呼びかけられますと、それに応えるように促されます。それに応える責任が生じるのです(responsibility-責任-とは、response-応答-することができるということです)。呼びかけを無視するとしても、それも一つの(消極的な)応答と考えるべきです。そして呼びかけに応答しようとする限り、その意味するものを解釈しなければなりません。何を求めているのかを解釈しないと、応答しようがありません。呼びかけている側からすると、とんだ勘違いのこともあるかもしれませんが、でもどう解釈するかは相手側に委ねざるをえないのです。

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