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4月14日(土) [矛盾について(その620)]

 津波で妻と孫を奪われた父親にとって一番心配なのが、娘が自殺するのじゃないかということです。
 娘は震災前に離婚し、まだ小さな息子を連れて両親のもとに戻っていたのですが、そこを津波が襲った。そして母親と息子が波に飲まれました。母親の遺体はようやく上がったのですが、息子がいまだ見つかりません。一人冷たいところで寂しがっているだろうと、息子のところへ行って上げたいという衝動に駆られる。
 父親にはそれが痛いほど分かり、気が気でないのです。しかし何と声をかけてやればいいのか。「このまま生きていたって仕方がない」と苦しむ娘にどのように手を差しのべてあげたらいいのか。
 父親はことばが見つからず、ただ一緒に涙を流すしかありません。
 そのことがしかし父親を一人にするわけにはいかないと思わせるようになり、娘の気持ちも次第に落ち着いてきます。父親が「お前が自殺するのではないかと気が気でなかった」と口にできたのは、娘の様子を見て、もう大丈夫だと思えてからのことです。
 もし親鸞がその場にいるとしても、同じことしかできないでしょう。ただ横にいて一緒に涙を流すしかありません。そして「そのまま生きていていい」という声がその娘のもとに届くのをじっと待つしかないでしょう。
 「非僧非俗」の生き方とはそういうことです。「教化」し「救済」するなんてできる道理がありません、ただ傍で涙を流すのみ。

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