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4月29日(日) [矛盾について(その635)]

 「どんなところにひとりころがされていても、そのひとのよりどころとなりうる」感情とは何であるかを言うのは難しい。
 神谷美恵子は「生きられた永遠」ということばでこんなふうに言っています。「もっとも注目すべき点は、この永遠性の意識が、必ずしもこの世における現在の生とかけはなれた遠い未来として体験されているのではなく、すでに『いま』、『ここで』いきいきと体験されているということである。少なくとも、単なる借りものではない『生きられた永遠』はそうであると思われる」。
 カントは「Das ist gut(これでよし)」と言って死んだそうですが、日々寝る前に「Das ist gut」と言えるかどうか。どんな辛いことがあっても、どんなに悲しい出来事があっても、その日寝るときに「Das ist gut」と言えるかどうか。どんなところにひとりころがされていても「Das ist gut」と言えるかどうか、これが宗教的な感情があるかどうかを見分けさせてくれます。
 さて、ぼくが今回『生きがいについて』を読み直して気づかせてもらえたことというのは、こうした宗教的な感情こそ、人をその属するさまざまな集団から自由にさせてくれるということです。彼女はこう言います、「所属集団の枠を超えて人類の一員として存在することを可能ならしめるのが宗教的な生の特徴であろう」と。宗教的な感情があれば、人類の一員、いや、生きとし生けるものの一員として、狭い垣根を超えることができる。
 どういうことでしょう。

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