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4月30日(月) [矛盾について(その636)]

 「生きられた永遠」という宗教的な感情があれば、人類の一員、いや、生きとし生けるものの一員として、狭い垣根を超えることができるとはどういうことでしょう。むしろ逆に、宗教が人と人の間に垣根を作っているのではないかというのが大方の見方ではないでしょうか。
 ぼくらの身の回りにはどれほど多くの垣根が張り巡らされていることでしょう。
 「おれたちは日本人で、かれらは中国人」、「わたしたちはアジア人だが、あの人たちは欧米人」、「われらは〇〇社の一員で、かれらは××社の社員」、「おれたちは正社員だが、かれらは非正規」、「われらは病人だが、かれらは健康」、そして「われわれはキリスト教徒だが、かれらはイスラム教徒」などなど。
 このように集団の間に垣根があるということは憎しみや争いの種になりますが、反面、何らかの集団に属することは、所属していること自体が生きる上で大きな安心感を与えてくれるところがあります。とりわけ宗教集団は、同じ信仰でつながれているという連帯感が非常に強いと言うべきでしょう。そこから、これまで所属していた集団から何らかの原因ではじき飛ばされた人にとって、宗教集団が大きな魅力をもってたち現われることになるのです。
 ところが神谷美恵子は、宗教的な感情が「所属集団の枠を超えて人類の一員として存在することを可能ならしめる」と言います。
 なぜか。
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