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矛盾について(その647) ブログトップ

5月12日(土) [矛盾について(その647)]

 あちこちしますが、『生者と死者をつなぐ』に気になる文章がありました。「宇宙船と生命」というタイトルで、太陽系外の空間へと長い期間宇宙旅行をするとき、宇宙船の中で人が死んだらどうするかについて考えたものです。
 著者(森岡正博氏)はこう言います、「遺体をそのまま棺桶に入れて、宇宙船の外の空間へと葬るというイメージがあるかもしれないが、おそらくそういうことにはならない。宇宙船の内部では、あらゆる資源が貴重である。遺体もまた、貴重な資源の塊りである。それをそのまま宇宙空間へと捨てることはありえない。遺体は細かい物質へと人工的に分解され、あるものは医薬品の材料となり、あるものは臓器のパーツとなり、あるものは希少なサプリメントの原料となって保管される」と。
 思いもよらない指摘を受け、ぼくの脳は大いに刺激されました。
 そうか、そうだろうな。要するにぼくらは死者の身体を食べて生きていくのだ。考えてみると、ぼくらが生きるということは、地球上にある資源を体内に取り入れ、それをまた排泄するという形で資源が循環しているのだ。そしてぼくらが死ぬと、遺体は焼かれて灰となり、それがまた資源としていずれ他の生物の体内に取り込まれることになる。そしてその生物を誰かが食べると、結局死者の身体を食べることになる。とすれば、宇宙船というのは、地球上で行われている大いなる循環を小さな規模で繰り返すということだ。だから遺体を貴重な資源として活用しつくすのは当然ということだ。…

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