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『歎異抄』を読む(その8) ブログトップ

5月23日(水) [『歎異抄』を読む(その8)]

 前置きはこれぐらいにしまして、本題に入っていきたいと思います。
 まず『歎異抄』という本について一通りのことを話しておかねばなりません。「歎異」とは、異なるを歎くということですから、親鸞の教えが異なって伝えられているのを歎いて、親鸞から直に聞いた教えを書き留めたといった意味です。これを書いたのは弟子の唯(ゆい)円(えん)だとされます。どこにも著者名が書かれていませんので、古来誰が書いたのかが争われてきました。
 有力な説としては、親鸞の孫である如(にょ)信(しん)が書いたというのと、親鸞の直弟子、唯円が書いたという説の二つあります。如信という人は、親鸞が晩年に義絶した子、善鸞の子供です。一方唯円は常陸の国で親鸞の弟子となった人です。親鸞は承元の法難で越後に流され、それが許されてからも何故か京都に帰らず関東に向かいました。親鸞を巡る謎の一つですが、常陸の国笠間に落ち着き、そこで『教行信証』を書いたとされます。その時期の弟子です。
 さて『歎異抄』を素直に読んでみますと、著者名はなくても、本文そのものが著者は唯円であることを語っています。
 まず、本文中に唯円の名が二箇所出てきます。第九章と第十三章です。どちらも親鸞と唯円の対話の形で書かれていて親しみやすく、味わい深い文章です。『歎異抄』が多くの人に読み継がれている理由の一つはこの親しみやすく人間的な文章にあると思います。で、普通に読みまして、この文章を書いたのは対話の当人である唯円以外には考えられません。二人の対話を傍で聞いていた人、あるいは対話を伝え聞いた人が記録したとは到底思えないのです。それほどこの対話が生き生きと描かれています。

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