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『歎異抄』を読む(その30) ブログトップ

6月14日(木) [『歎異抄』を読む(その30)]

 「しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり」
 しかし、念仏より他に往生の道を知っているとか、また教えが説かれた法文などを知っているのではないだろうかとお思いでしたら、それはとんでもない間違いです。
 「こころにくく」というのは、「いぶかしく」とか「あやしいと」ぐらいの意味で、親鸞は本当はもっといろいろ知っているのに、それを隠しているのではないかとお思いでしたら、それはとんでもない誤解です、ということです。わざわざ関東から弟子たちが親鸞のもとを訪ねてきたのは、関東にかなりの信仰上の混乱があったからのようです。親鸞は息子の善鸞を自分の名代として関東に送ったのですが、その善鸞がみんなを自分に引き付けようとしてか、「実は親鸞は息子の自分にだけこっそり秘密の教えを伝えてくれた」というようなことを言いふらしたものですから、大混乱が生じたのです。それが分かって親鸞は息子を勘当するという結末を迎えるのですが、この話にはそんな背景があるのです。
 「もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たち、おほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり」
 もしそのように念仏以外に何か特別な教えがあるのじゃないかと思われるのでしたら、興福寺や延暦寺にも、すぐれた学者がたくさんおられますから、その方々に会われて、往生の要点をしっかり聞かれたらよろしい。
 南都というのは奈良のことですが、南都六宗の中でも特に法相宗の大本山興福寺がその中心的存在でしょう。北嶺は言うまでもなく天台宗の大本山延暦寺で、法然や親鸞もそこで学んだ最高学府と言っていいでしょう。念仏以外のことを知りたいなら、興福寺や延暦寺に立派な学僧がたくさんいらっしゃいますから、そちらに行かれたらよろしい、と突き放しているのです。

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