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『歎異抄』を読む(その59) ブログトップ

7月13日(金) [『歎異抄』を読む(その59)]

 第3章の「悪人正機」のポイントをもう一度押さえておきますと、世の中に善人と悪人がいるのではなく、「自分を善人と思っている悪人」と「自分を悪人と思っている悪人」がいるだけということでした。
 そして自分を善人と思っている悪人よりも自分を悪人と思っている悪人の方が救われる。どうしてかと言いますと、自分を善人と思っている悪人は「悪人のままで救われる」ことに気づきにくいのですが、自分を悪人と思っている悪人は「そのままで救われる」ことにふと気づかせてもらえるからです。
 しかし、悪人正機は決して悪を是認しているのではありません。親鸞は「悪をしてもいい」と言っているのではありません。例えば、子どもが嘘をついたら、それを見過ごしてはいけないでしょう。ただ、そのとき「嘘つきになってはいけない」と叱るか、「嘘をついてはいけない」と叱るか。
 「嘘つきになってはいけません」と叱る人は、自分は嘘つきではないと思っています。でも、誰でもふとした弾みで嘘をついてしまうものではないでしょうか。としますと、「嘘つきになってはいけない」ではなく、「嘘をついてはいけない」と叱るべきです。
 それは嘘をついた子を叱りながら、自分に向けても「つい嘘をついてしまうが、できるだけ嘘をつかないように気をつけなくちゃ」と自戒しているのです。それを感じるからこそ叱られた子も、「そうだな、これからは嘘をつかないようにしよう」と反省するのではないでしょうか。

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