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『歎異抄』を読む(その89) ブログトップ

8月13日(月) [『歎異抄』を読む(その89)]

 もうだいぶ前のことになりましたが、山口県の光市で恐ろしい事件が起こりました。18歳の若者が水道の点検工事を装って近所の家に入り、若い人妻を絞殺した上レイプし、まだ1歳にもならない幼児まで絞殺したというのです。この事件が注目されたのは、犯行の残酷さからですが、同時に、妻と娘を殺された本村さんが、悲しみのどん底から立ち上がり、犯罪被害者の無権利状態を世に問うたからです。
 加害者は少年ということで匿名が守られるのに、被害者は顔写真も名前も公表される。そして法廷においても、被害者は全く蚊帳の外に置かれて、遺族としての意見表明をする機会が与えられないなど、犯罪被害者として疑問に思ったことをテレビを通じて訴えたことから全国的に知られるようになりました。その活動の結果、いくつかの法改正が行われて、被害者の無権利状態はかなり改善されたようです。
 1審、2審とも被告が18歳になったばかりの少年ということで無期懲役の判決でしたが、最高裁が破棄差し戻しの決定を下し、高裁で死刑判決が出ました。弁護側が上告しましたが、今年、最高裁で死刑判決が確定しました。その過程で死刑制度の是非がさかんに議論されました。
 本村さんは、たとえ少年であっても、あるいは生育環境に問題があったとしても(父親の家庭内暴力、それによる母親の自殺など)、人のいのちを奪った以上、いのちで償うのは当然だと主張し、この考えはかなりの、というより圧倒的なと言った方がいいでしょう、支持を得ています。愛する妻や娘が惨たらしく殺されたのに、殺した当人はのうのうと生きているというのは、どう見ても正義に反するという感覚です。ぼくもその立場になったら、きっと本村さんと同じように感じると思います。


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