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『歎異抄』を読む(その225) ブログトップ

12月27日(木) [『歎異抄』を読む(その225)]

 京に帰るということは元の二元論の生活に戻ることを意味します。それを拒否して、人々と共に「念仏を生きる」道を模索したのではないでしょうか。越後や常陸での生活が実際にどのようなものであったか、しかとは分かりませんが、少なくとも僧として俗の衆生に対したのではないことは確かでしょう。
 一方に暮らしがあり他方に宗教がある。一方に火宅無常の世界があり他方に念仏のまことの世界がある。こんな二元論を突破して、暮らしの中に宗教があり、火宅無常の世界がそのまま念仏のまことの世界であるような生き方を越後や常陸で作り出そうとしたと思うのです。「念仏を生きる」というのはそういうことです。
 親鸞は常陸の念仏者に送った一通の手紙の中でこんなふうに言っています。「しかれば恵心院の和尚は『往生要集』に本願の念仏を信楽するありさまをあらわせるには、“行住坐臥をえらばず、時処諸縁をきらわず”とおほせられたり」と。念仏が生活の中に生きている様をこの源信のことばに読み取ったのでしょう。「行住坐臥をえらばず、時処諸縁をきらわず」とは、のべつ幕なしに念仏しているということではありません、行住坐臥の生活と念仏とが一体となっている様を言っているのです。
 終わりの時が来ました。この辺で「『歎異抄』を読む」の講座を閉じたいと思います。次回からは新しい装いでお目にかかりたいと思います。

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