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1月31日(木) [はじめての親鸞(その35)]

 元の優生保護法(1949年)に「経済条項」というものがあり、身体的または経済的な理由によって中絶できるとされていることが拡大解釈されて、事実上中絶が公認されてきたのですが、1972年の改正案はこの「経済条項」を削除し、それに替えて「胎児条項」を入れるというものでした。「経済条項」の削除に対しては女性団体が猛烈に反対し(産むか産まないかを決めるのは女性の自由だ!)、「胎児条項」には障害者団体が反対したのですが、女性団体と障害者団体は改正案反対では一致したものの、その根拠については微妙な関係におかれました。
 註:産むか産まないかを決めるのは女性の自由であるとしても、産まないことの理由として胎児に障害があることを含めていいかどうかについては、女性団体によって意見が割れました。障害者団体の問題提起を受けとめて選択的中絶には反対するグループと、どんな理由であれ中絶は自由だと主張するグループに分かれたのです。ともあれこの改正案は女性たちと障害者たちの激しい反対運動により廃案に追い込まれました。
 今は「母体保護法」に生まれ変わり(1996年)、優生保護法から「優生的なもの」がすべて取り除かれて、身体的または経済的理由による場合と暴行または脅迫による妊娠の場合に中絶できるとなっています。こうして制度上の問題はなくなったのですが、実際には経済的理由の名で選択的中絶が行われているのですから、倫理的・思想的には何も解決されている訳ではありません。むしろ生殖技術が進むことによって新たな問題が生まれてきているのです(受精卵に対する遺伝子操作など)。
 そこで森岡氏とともに改めて問うてみたいと思います、選択的中絶は認められるのかと。

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