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はじめての親鸞(その41) ブログトップ

2月6日(水) [はじめての親鸞(その41)]

 いかがでしょう、あなたの中にもこのいじめ虫が潜んでいないでしょうか。ただそれに気づいていないだけということはないでしょうか。
 もう一つ、これもよく持ち出す例ですが、割り込みのことです。ホームで電車を待っているとき、横からさっと割り込んでくる人がいます。そんなとき無性に腹が立ちます。こちらは行儀よく列を作って待っているのに、何の苦労もしないでさっさと電車に乗り込み座席を確保してしまうのですから、とんでもない悪人に思えます。
 さてしかし、どうして割り込みされるとこうも腹が立つのでしょう。それは相手がルールを守らないからには違いありませんが、どうしてルールを破る人間にこんなにも腹が立つのか。実は自分も割り込みをしたいからだと思うのです。
 ほんとうは自分も割り込みをしたい、でもみんながそうすると大混乱になってしまうから、我慢して列を守っている。なのに、あいつは勝手にルールを破っている。だから無性に腹が立つ。と、こういうことではないでしょうか。
 もし割り込みなんかしたくない、割り込みができたとしても、そんなことをする気がないとしますと、誰かが割り込みをしても、ちっとも腹が立たないと思います。割り込みをする人に「どうぞお先に」と言うのではないでしょうか。としますと、割り込みをする人を見て無性に腹が立つのは、やはり自分も割り込みをしたいからです。
 もちろん実際に割り込みをするのと、したいけれどもしないのとでは天地の差です。したいのにしないで我慢するのは立派です。でも、割り込みをしたいと思っている点では何も変わりはありません。

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