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2月14日(木) [はじめての親鸞(その49)]

 引きこもりの青年を考えてみましょう。
 彼が引きこもっている部屋は堅固な城です。誰もその聖域には入れない。しかし彼もそこからは一歩も外へ出られないのです。彼は外の世界を疑っています。外に世界があることを疑っている訳ではありませんが、外の世界が自分を受け入れてくれることを疑っているのです。外に出たら自分のこころはズタズタに傷つけられるに違いないと。
 彼の堅固な城には彼だけの世界、安心できる界があります。そこには彼独自の楽しみもあるでしょう。ゲームをしたり、音楽を聴いたり、本を読んだりと。こんなふうに外を疑い、内に自閉しているこの青年の姿は、デカルトの「疑っているわたし」とどこか似ていないでしょうか。
 デカルトは、ほんの少しでも疑わしいものは惜しげもなく投げ捨てていきましたが、その過程で面白いことを言います。例えば「1足す2は3」。これは夢の中でもそうですから、絶対に確かだと考えていいようですが、ひょっとしたら意地悪な悪魔がいて、ほんとうは「1足す2は4」なのに、ぼくらを騙して「1足す2は3」だよと囁いているのかもしれないと言うのです。みんなこの悪魔に騙されて「1足す2は3」だと思い込んでいるだけかもしれないと。とすればこれもまた疑わしいということになります。
 念のために言っておきますが、もし悪魔に騙されて「わたしがいる」と思い込んでいるだけかもしれないと疑ったとしても、「わたしがいる」ことは揺るぎません。なぜなら「わたしはほんとうはいないかもしれない」と疑っているわたしがいるのですから。

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