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3月22日(金) [はじめての親鸞(その85)]

 historyとstory 、もう少し考えてみようと思います。
 歴史的事実というのは一回きりの出来事です。「神は人類の罪を贖うためにわが子イエスを十字架にかけられた」ことを歴史的事実と考えますと、それは今から2000年ほど前に起こった出来事です。ある時ある場所で起こった一回きりの出来事です。
 でもそれを「もうすでにみんな赦されている」というメッセージだと考えますと、それはすでに起こったことであると同時に、今起こっていることであり、これからも起こることです。さらに言えば、十字架上のイエスは、イエス以前にまで遡ります。十字架上のイエスはイエス以前にも起こっていたはずです。そして十字架上のイエスは、イエス以後も起こり続けています。十字架上のイエスは、「もうすでにみんな赦されている」というメッセージが誰かに届けられたその時その場で繰り返し起こるのです。
 同じように、「法蔵菩薩が一切衆生を救おうと四十八の誓願を立てられた」ことを歴史的事実と考えますと、それは一回きりの出来事です。でもそれを「生きとし生けるものはそのままで救われている」というメッセージだと考えますと、それはいつかどこかで起こったことではありません。
 法蔵菩薩の誓願は法蔵菩薩以前にまで遡ります。そしてそれは法蔵菩薩以後にも起こり続けています。法蔵菩薩の誓願は、ある時ある所で起こったのではなく、「そのままで救われている」というメッセージが誰かに届けられたその時その場で、いつでもどこでも起こっているのです。

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