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3月31日(日) [はじめての親鸞(その94)]

 もし「わたしの願いを信じて、わたしの国に生まれようと思い、わたしの名を十回も称えれば、わたしの国に迎えましょう」であるとしますと、「わたしの国に生まれる」ことに条件がつくことになります。「わたしの願いを信じ」ること、「わたしの国に生まれようと思」うこと、そして「わたしの名を十回も称え」ること、この三つが「わたしの国に生まれる」ための条件だということになります。この三つの条件のひとつでも満たすことができなければ往生できないということです。
 教師はよくこんなふうに言います、「しっかり勉強しなさい、そうすれば試験に合格させてあげますよ」と。生徒からすれば、そんなの当たり前で、ありがたくも何ともありません。合格させてあげたいと言われても、それはひとえに自分たちの努力にかかっているのですから。そうではなくて、「しっかり勉強できるようにしてあげたい、そして試験にめでたく合格させてあげたい」と言ってもらえて、はじめてほんとうに自分たちのことを思ってもらっているという実感を持つことができます。
 くどいようですが、もう一度第十八願を読んでみたいと思います。「一切衆生が、わたしの願いを信じて、わたしの国に生まれようと思い、わたしの名を十回も称えて、必ずわたしの国に生まれるようにしたい」。もし法蔵菩薩が一切衆生に向かって呼びかけているのでいたら、これは「一切の衆生よ、わたしの願いを信じて、わたしの国に生まれようと思い、わたしの名を十回も称えなさい。そうすればわが国に生まれさせてあげよう」という形になるでしょう。
 でも、そうではないのです。

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