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5月6日(月) [はじめての親鸞(その130)]

 「念仏はどうも」という感覚は「信と行」の問題につながってきます。
 「本願を信じる」ことが大事か、それとも「念仏をまうす」ことが大事か。この対立は法然の時代からあったようで、これについて『親鸞聖人伝絵』に興味深いエピソードが記録されています。親鸞が法然のもとで生活していた時期のことです(それは親鸞が29歳で法然に会い、35歳で流罪になるまでのたった6年間でした)。
 ある日法然の門弟が集まった機会に、親鸞が一同に向かって「本願の信心を大事とする信不退と、念仏の行を大事とする行不退と、二つに別れて座ってください」と提案したと言うのです。これには「みなその意を得ざる気あり」とありますから、みんなポカンとしていたということでしょう。聖覚と信空と熊谷直実の三人が信不退の座につき、法然も最後に信不退の座についたとあります。親鸞は記録係をしていたのですが、自らの名を信不退の座の方に載せたそうです。
 さてしかし、こんなことが本当にあったのでしょうか。『伝絵』を著した覚如(親鸞の曾孫です)を疑うわけではありませんが、この話がそのままあったとは信じられません。と言いますのは、親鸞は関東の弟子たちへの手紙の中で、繰り返し「信を離れた行はなく、行を離れた信もありません」と書いているからです。
 これらの手紙は親鸞晩年のものですから、『伝絵』のエピソードがほんとうにあったことだとしますと、若き親鸞が、本願を聞くことができた喜びのあまり勇み足をしたと見ることもできます。当時、法然の門弟には念仏を往生のための行と捉える人たちが多く、法然の真意が伝わっていないと思った親鸞が、その誤りを正そうとしたという見方です。

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