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5月17日(金) [はじめての親鸞(その141)]

 「南無阿弥陀仏」は「おかえり」という呼び声であると同時に、「ただいま」という応答でもあるということ。
 妙好人・源左という人をご存知でしょうか。
 妙好人とは「類まれなよき人」という意味ですが、念仏に生きる市井の人を指すことばです。源左という人は幕末の天保年間に生まれています。天保の改革が行われていた頃で、もう少しするとペリーの黒船がやってくるという時代ですが、その頃因幡の国、今の鳥取県に生まれたお百姓です。この人はことあるごとに「ようこそ、ようこそ」と言うのが口癖だったそうです。
 「ようこそ、ようこそ」と言うようになったのは、ある朝裏山に草刈に出かけて、刈った草を束ねて牛の背に載せ、全部載せると重かろうと、一束は自分で背負って家に帰ろうとした時のことです。途中どうしたことか腹が苦しくなって、背負っていた草束を牛の背に載せたのですが、その時大事なことを「ふいっとわからしてもらった」。背負っていた荷がなくなって身がふっと軽くなると同時に、心もふいっと軽くなったのでしょう。
 これまで親父が死んで一家を支えなければと歯を喰いしばってきた。自分が何とかしなきゃならんという思いを背中に背負ってきた。でも、重い草束を牛の背に預けた時、
 「源左、助くる(助けよう)」
という呼び声が聞こえてきたのです。そして「あゝ、有難い。もう気張らなくていいのだ、全部阿弥陀仏にお任せすればいいのだ」という嬉しさとともに、思わず
 「ようこそ、ようこそ」
の声が口から出てきたというのです。

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