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6月3日(月) [はじめての親鸞(その157)]

 親鸞はこの二つ目の救いをどうにかしてことばに表そうと尽くした人です。「現生正定聚」といい、「現生不退」といい、「摂取不捨」といい、「如来とひとし」といい、すべて今生ただいま、信が定まったときの救いを表現することばです。これらのことばで煩悩のまま救われている微妙な境地を何とかして伝えようと苦労しています。しかし彼以前の浄土の教えはひたすら一つ目の救いを目指していました。眼は「今生ただいま」ではなく、「いのち終わったのち」に向けられていました。
 源信(恵心ともいいます)という人がいます。
 平安中期、藤原摂関政治全盛時代の人です。当時すでに浄土の教えは広く行き渡り、阿弥陀仏を信じて極楽浄土に往生したいと願う人たちは多くいました。「なむあみだぶつ」を称えながら各地を行脚した空也は源信とほぼ同時代の人ですし、源信が学んだ比叡山延暦寺でも念仏行は修行の一環として組み込まれていました。ですから源信がわが国の浄土教をはじめたのでは決してないのですが、源信が浄土教の歴史の中でとりわけ重要な位置を占めるのは彼の著した『往生要集』によってです。この書物が日本浄土教にはっきりした形を与えたと言えます。
 「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり」で始まるこの書物によって、地獄とは何か、極楽とは何か、往生するとはどういうことか、そのためにはどうしたらいいのかなど、今まで曖昧なままだったことにはっきりとしたイメージが与えられたと言えます。源信が日本浄土教に明確な形を与えたというのはそういう意味です。ぼくらが地獄や極楽、あるいは往生と聞いたときに思い浮かべるイメージは『往生要集』によって作られたと言ってもいい。

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