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はじめての『教行信証』(その1) ブログトップ

2013年7月29日(月) [はじめての『教行信証』(その1)]

            1.はじめに―『教行信証』とは
(1)ぼくと『教行信証』
 はじめて『教行信証』を読んだのは学生時代です。その時は京都寺町の仏教書専門店(あの頃は寺町通りに専門店がずらっと軒を連ねていたように思うのですが、少し前に行ってみますと、それらしい店は1,2軒あるだけでした)を渡り歩いて注釈書や現代語訳などを何冊も買いそろえ、かなりのエネルギーを注いで読んだように思います。ところが、実を言いますと、その時のことを思い出そうとしても、本当に最後まで読み通すことができたのかどうかさえ自信がないのです。
 昔お世話になった注釈書の類いを本棚の奥から引っ張り出してきて、もうかなり変色してしまった本をぱらぱらとめくってみますと、要所要所に赤鉛筆で線が引いてあり、最後までちゃんと読んであります。岩波文庫の『教行信証』には、ところどころに書き込みもしてあります。にもかかわらず最後まで読み通したのかどうか自信がなかったのは、その内容を自分のものにできたという実感がなかったからです。本当に読んだという気がしないままだったということです。
 その後教職についてからも何度かきちんと読もうと思いましたが、その都度途中で挫折しました。学生時代ほどかかりきりになる時間をとれず、そのうち熱がさめて途中で放り出すということを何度か繰り返してきたように思います。読もうと決めたときは、今度こそは最後まで読み通すぞと固く誓うのですが、経典や論釈の難解なことばの壁に跳ね返されてしまうのです。何しろ大著(文庫本で450ページあります)です。しかもその大半が経典、論釈の引用で、まあほとんど親鸞の素顔が見えてこないと言ってもいい。

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