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2013年7月30日(火) [はじめての『教行信証』(その2)]

 この漢字の海は一体何だろう、何のためにこんな大部で難解な書物を書いたのだろう、といった疑問ばかりが浮かんできて、それに呑み込まれてしまい、まあいいやと諦めてしまう、その繰り返しでした。それに比べますと『歎異抄』は親しみやすい。そもそも『教行信証』は漢文で書かれているのに対して『歎異抄』は「序」を除けば和文です。こちらは言うまでもなく親鸞の著作ではなく、弟子の唯円が書いたものですが、この短く達意の文章の中に親鸞の姿がくっきりと浮かび上がってきます。ぼくは高校二年の時にこの『歎異抄』に出会って以来繰り返し親しんできました。
 印象的な文章がいっぱいありますが、一番心に残ったものは、関東から「十余ケ国のさかひをこえて身命をかへりみずして」訪ねてきた人たちに向かって親鸞が語ったことばです。その人たちは、何としても親鸞聖人に直にお会いして、日頃「往生極楽のみち」について抱いている疑問をすっきりさせたいと思いつめたような気持ちだったに違いありません。これまで「本願を信じ念仏すれば往生できる」と教わってきたが、本当にそれだけでいいのだろうか。もっと何か大事なことがあるのではないか。そんな顔をしている人たちに親鸞は何とも素っ気無い返事をするのです。
 「わたしが念仏より他に往生の道を知っているとか、またそんな教えが説かれた法文などを知っているのではないだろうかとお思いでしたら、それはとんでもない間違いです。もしそうでしたら、興福寺や延暦寺にも、すぐれた学者がたくさんおられますから、その方々に会われて、往生の要点をしっかり聞かれたらよろしい。わたしとしましては、ただ念仏して阿弥陀仏にお救いいただくと法然上人から教えられたのを信じる以外に取り立てて何もありません」(第2章)と。

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