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はじめての『教行信証』(その32) ブログトップ

2013年8月29日(木) [はじめての『教行信証』(その32)]

 仏教の経典というのは釈迦が得た悟りの内容が書かれているものと思います。当然、無量寿経もそうだろうと思うと、これが全く当てが外れるのです。
 この経典も釈迦が弟子の阿難(アーナンダ)に語るという体裁をとりますが、釈迦が自分の教えを語るのではないのです。では何を語るかといいますと、過去の仏である阿弥陀仏について語っているのです。阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩として修行をしていたときから説き起こし、成仏して西方十万億土の安楽浄土におられることが説かれているのです。言ってみれば、この経典は法蔵菩薩が阿弥陀仏となられた物語なのです。
 物語のハイライトは法蔵菩薩が五劫思惟して四十八の願を立てられ、それがかなわないなら仏にならないと誓われたというところです。
 四十八もある願をひとまとめに言うのは難しいですが、親鸞は少し前にその一部を上げました第十八願成就文こそ四十八願の本質だと考えたと思います。「あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向したまへり。かのくにに生ぜんと願ずれば、すなはち往生をえ、不退転に住す」。詳細は信巻のところでじっくり考えたいと思いますが、とりあえずおおまかな意味を言っておきますと、「わたしの名を聞いて喜び、ひと声でもわたしの名を称えて浄土へ往生したいと願えば、そのとき直ちに往生することができます」といったところです。
 このように無量寿経は、法蔵菩薩がすべての衆生を救わんという願をたて、それが十劫の昔に成就したのだから、阿弥陀仏の名を聞いて喜びにあふれ、浄土に往生したいと願ってひと声でも阿弥陀仏の名を称えたら直ちに往生できるのだという物語を説いているのです。

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