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2013年11月10日(日) [はじめての『教行信証』(その105)]

(3)「ただ五逆と謗法をのぞく」
 『涅槃経』の引用を総括して、親鸞はこう述べます。
 「このようなわけで、いま釈尊の真実の教えにより、救われがたい三種の人、つまり五逆・謗法(ほうぼう、仏法を誹謗する)の罪を犯した人、そして闡提(せんだい、快楽のみを追求し仏法を信じない人)も、如来の大慈悲心から立てられた本願をたのみとして他力の信心の海に帰れば、如来はこれを深く哀れみ、救ってくださるということが明らかになりました。ちょうど醍醐(牛乳を精製したもの、極上の味と薬効をもつ)の妙薬がすべての病を治癒するようなものです。」
 さてここで当然の疑問にぶつかります。第十八願に「ただ五逆を謗法をのぞく」とあることです。これをどう考えたらいいのか。親鸞はこの問題に立ち向かいます。
 「無量寿経には、五逆と謗法をのぞくといわれており、…観無量寿経には、五逆は往生できると説かれていますが、謗法については往生できろと説かれていません。涅槃経には、いまみましたように難治の三機(五逆・謗法・闡提)の往生が説かれています。この違いをどう考えたらいいでしょう。」
 『無量寿経』では、第十八願に「ただ五逆を謗法をのぞく」とあり、また『観無量寿経』では、往生を願うものに上品上生から下品下生までの九種類あるとし、下品下生に属する五逆罪のものも、心から念仏すれば往生することができると説かれています。『涅槃経』については、先ほど見た通りです。まとめてみますと、『無量寿経』は五逆×、謗法×、『観無量寿経』は五逆〇、謗法△、『涅槃経』は五逆〇、謗法〇ということになります。こんなふうに経典により違いがあるのはどうしたことかというもっともな疑問です。

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