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はじめての『教行信証』(その159) ブログトップ

2014年1月3日(金) [はじめての『教行信証』(その159)]

 他力にも序列をつけたがるということ。
 自力の序列は足し算で決まりますが、他力の序列は引き算です。どれだけ自力の要素を取り除くことができたかを争い、限りなく自力を取り去ったものが純他力として勝ちを収めるというわけです。金の価値が不純物の少なさで決まり、金の含有量が99.99パーセント以上が純金(24K)で、不純物が増えるごとに18Kとか14Kと価値が下がるのに似ています。
 こんなエピソードが伝えられています。まだ承元の法難(法然や親鸞が流罪となった事件)が起こる前のこと、吉水に集う法然門下に、「信をとるか行をとるか」の争論があったというのです。しかもそれは親鸞自身が、信をとる方々はこちらの座へ、行をとる方々はあちらの座へと持ち出したといいます。その結果、親鸞ほか数人が信の座を取ったが、大方の人々はどちらとも決することができず、最後に法然が信を選んだとあります。しかし、そんなことが本当にあったのか、かなり疑わしいと言わなければなりません。
 このエピソードは覚如の著した『御伝鈔』(親鸞の伝記)に出てくるのですが、覚如とは親鸞のひ孫に当たる人(親鸞-覚信尼-覚恵-覚如)で、本願寺の第三祖(親鸞-如信〈善鸞の息子〉-覚如)とされます。しかし事実上の本願寺の開祖と言うべきでしょう。親鸞は法然の教えの真実を伝えようとしただけで、新しい宗派を開くなどという気持ちは全くなかったことは、彼の書いたものから明らかです。親鸞を祖として浄土真宗という新宗派を作り、その本山としての本願寺を作ったのは覚如です。
 そこから、覚如の書いたものには、新しい宗派を立ち上げようという目的意識がプンプン匂ってくるものが多いのですが、このエピソードにも法然の門流の中で本願寺の独自性を際立たせたいという意図が感じられます。

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