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2014年1月5日(日) [はじめての『教行信証』(その161)]

(2)真と化
 ここで当然の疑問が起こるでしょう。どんな条件もなく、みんな浄土へ往けると言ってしまうと、これまで説かれてきたことがらがすべて無意味になってしまうのではなかろうか、と。聖道門と浄土門、難行道と易行道、諸行往生と念仏往生といった対立軸がガラガラと音を立てて崩れてしまうのではないか。
 いや、そもそも自力と他力というもっとも大事な対概念はどうなるのか。
 しかし「自力と他力」は、「男と女」と同じような対概念でしょうか。対と言うからには、こちらに男、あちらに女、というように並べることが必要です。しかし、こちらに自力、あちらに他力と同じ平面上に並べることができるものでしょうか。
 例えば、「有限と無限」はどうでしょう。これも対概念とは言えるでしょうが、こちらに有限、あちらに無限と並べることは不可能です。有限と一緒に並べられるものは、どこまでも有限にすぎません。
 さて自力と他力です。
 自力は「こちらから手に入れる」ことで、他力は「向こうから賜る」ことだと言ってきました。例えば、自力の信とは「こちらから手に入れた信」で、他力の信とは「向こうから賜った信」だというように。しかし、他力とは「向こうから賜った」と〈気づく〉ことでしかありません。気づいた人には、それが他力であることは明らかですが、気づかない人には、他力なんてどこにもありません。

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