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はじめての『教行信証』(その169) ブログトップ

2014年1月13日(月) [はじめての『教行信証』(その169)]

 何はともあれ、まず「三願転入」のくだりを読んでおきましょう。
 「こんな訳で、わたくし親鸞は、龍樹・天親菩薩の教えを仰ぎ、曇鸞・道綽・善導・源信・源空諸師のお導きにより、久しく万行諸善の要門を出ることができ、雙樹林下の往生(第十九願)を離れることができました。そして善本徳本の真門に入り、ひとすじに難思往生(第二十願)を願う心を起こしました。ところが今、さらにこの方便の真門を出て、選択本願の海に転入しました。速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生(第十八願)を遂げたいと思います。必ずや往生させずにおかないという果遂の誓い(第二十願)は本当に有難いことです。こうして久しく本願の海に入ることができ、深く仏恩を知ることができました。」
 さまざまなことばが入り乱れてすんなりと頭に収まりませんので、ことばの整理をしておきます。
   第十九願―万行諸善の要門―雙樹林下の往生
   第二十願―善本徳本の真門―難思往生
   第十八願―選択本願の願海―難思議往生
 今生で悟りを開くという聖道門を離れて、浄土への往生を願うという点では三願とも共通しています。では何が違うのかと言いますと、第十九願は念仏も含めた万行諸善を修めることで往生を願います。それに対して第二十願は雑行を捨て、ただひたすら念仏を申すことで往生を願うのですが、その念仏を「わが善」、「わが徳」として往生を願うのです。このように十九願も二十願も「わが力」で往生したいとはからうのですが、十八願は如来より賜った信心と念仏で往生を願うのです。

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