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「どうして人を殺してはいけないのか」 [生きる意味(その3)]

(3)「どうして人を殺してはいけないのか」
 この気恥ずかしさ、そしてアブナサとよく似た感覚を覚えた記憶があります。もう20年近く前になりますが、一人の高校生が
 「どうして人を殺してはいけないのか分からない」
と発言して世間を驚かせました。あの神戸の「少年A事件」(1997年の神戸連続児童殺傷事件)を巡る座談会の場です。
 その後さまざまな大事件が人目を引いて、もう大分かすんでしまいましたが、ぼくにはあの事件がその後のさまざまな暗い事件のきっかけとなり、今の日本の闇の部分を象徴しているように思えてなりません。だからこそ、こんなトンデモナイ発言を引き出したのだと思います。
 その場にいた著名な評論家や学者たちは言うべきことばがなかったそうです。その人たちもきっとかすかな怒りを覚えながら、腹の中でこう思ったのではないでしょうか、「そんなことをこういう場で言うなよ」と。誰かが「はしたない」という言葉を使っていましたが、確かにこれはかなり気恥ずかしく、アブナイ発言です。
 どうやら、「生きる意味は何ですか?」という問いと、「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いは深く結びついているようです。
 ぼくらが生きていることの一番根っ子に関わる問いであるのに、いや、そうであるからこそ気恥ずかしく、そしてアブナイ。この気恥ずかしさとアブナサを手放さないようにしながら「生きる意味」を考えていこうと思います。

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