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どんなときに「生きる意味」を感じるか?(つづき) [生きる意味(その5)]

(2)どんなときに「生きる意味」を感じるか?(つづき)
 誰かからのメッセージと言いましたが、別にことばでなくても、目配せでも、あるいはちょっとした仕草でも十分です。でもそこに誰かがいなければなりません。誰かに「あなたがいてくれることが必要なのだ」ということを口や目や仕草で示してもらわなければなりません。そうでなければ「生きていてよかった」という思いは湧き上がってこないのです。
 「そうかな?そうでなくても“あゝ、生きていてよかった”と思うことがあるよ。例えば、旅先でおいしい食べ物やお酒に出会ったような時、思わず“嬉しい!”と顔がほころぶだろ?この嬉しさは、自分が誰かに必要とされているという思いとは関係ないと思うけど。」
 「ふむ、確かに。ただね、例えば、その時一緒に旅行している友達と喧嘩をしていて、もう顔も見たくないというような状態だとしたらどう?どんなご馳走や素晴らしいお酒があっても、ちっともおいしくないと思うけど。やっぱり友達と仲良く旅行するのが楽しいから、食べ物やお酒もおいしいと思えるんだよ。」
 「そりゃまあそうだけど…。じゃあ、こんな場合はどう?思いがけず宝くじに大当たりして、大金が転がり込んだ。こんな時、たとえ女房と大喧嘩していても、そんなこと忘れてしまって舞い上がるんじゃないかな。」
 「宝くじか。当たったことがないからよく分からないけど、まあ大金が手に入るのは嬉しいだろうね。でも、すっかりいい気分になって家に帰ってくると、机の上に離婚届が置いてあったとしたら…。」
 「うーん…。」
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