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〈場〉は直接意識できない [生きる意味(その13)]

(10)〈場〉は直接意識できない
 「いる」自分は、それがなくては何も「する」ことのできない<場>なのですが、それを直接意識することはできないのです。
 「そうかな、すべての“する”ことを停止して、“いる”自分をじっと見つめることもあるんじゃないかな。」
 では、自分が「いる」ことをじっと見つめてみましょう。さて、何が見えますか?ぼくは今自分の部屋でパソコンに向かっています。たった今窓の外に広がる青空を見ました。そして机の上に広げてある本に目を走らせました。すべて「する」ことです。
 もちろん今部屋の中にいることを意識することもできます。さっきまで散歩していたが、今は机の前に座っている、と意識することはあります。でも、それも「する」ことです。座ってじっと「する」自分です。そして、じっとしていても頭の中は忙しくさまざまなことを思っています。どれもこれも「する」自分です。
 では、今度はそれらの「する」ことを一旦すべてストップして、「いる」ことそのものを覗いてみましょう。目を閉じ、意識を「いる」ことに集中させてみましょう。何が見えまるでしょう?意識を「いる」ことに集中させようとしている自分が見えます。
 他のことに意識が向かわないように一生懸命になっていることが見えますが、それだけで、あとは何も見えません。やはり見えるのは「する」ことだけです。「いる」ことに意識を集中させようと「する」ことだけです。
 その時意識が向かっている先は、「いる」ことを見つめようと「する」ことで、そう「する」ことを可能にしている「いる」ことではありません。

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