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「いる」ことへの眼差し [生きる意味(その19)]

(16)「いる」ことへの眼差し
 要するに、誰にもかまってもらえず、ほったらかしにされてきたということです。そのうち勉強が全く分からなくなり、何が分からないのかすら分からなくなる。こうなるともう助けを求めることもできず、「どーせオレはできないんだ、オレは頭が悪いからしょうがない」と投げ出してしまうのです。
 しかし、こんなふうに勉強ができないという事実について情状を酌量してあげることは本人のためのように見えて、実は本人をダメにしてしまうという考え方もあるでしょう。勉強できないのを周りのせいにしてしまうことで、本人が現実を乗り越えていくきっかけを奪うことになるのではないかと。
 それに、入口と出口というように分けることができるのかという疑問も出てくるでしょう。入口が原因で出口が結果だから、入口で情状酌量すれば、出口で口実を与えることになってしまうのではないかと。
 でも、ほんとうにそうでしょうか。「お前は小さい頃からほったらかしにされてきたんだなあ」と言うことは、「だからお前が勉強できないのはしょうがない」という結論につながるのでしょうか。そうではないと思います。
 ぼくならこう言うと思います。「お前が誰にもかまってもらえなかったのは気の毒だよ。しかし、だからと言って、それが努力しない理由にはならないぞ。努力するかしないかはお前の意思だから、努力しないとすれば、それは全面的にお前の責任だ。これまでほったらかしにしてきた親の責任でも、お前にかまってやらなかった先生の責任でもない」と。

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