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「あるべき」と「あるがまま」(つづき) [生きる意味(その25)]

(22)「あるべき」と「あるがまま」(つづき)
 彼の論点をひろいあげてみます。
 「大人として成長する方向に子供を伸ばそうとするのではなく、子供のありのままに大人側(学校側)を引き寄せようとしてしまった」。つまり「“子供のあるべき姿”から発想するのではなく、“子供のあるがまま”に合わせようとした」。しかし「“子供中心に教育を考える”という物言いは、いかに美しい教育観に見えても、“あるがままの子供”をひたすら肯定しようとするものである限り、子供を堕落させてしまうのである」。
 ここから彼は「規範意識」の再建へと筆を進めます。「自由」や「個性」ではなく「規範」こそこれからの教育に必要なのだと。
 「あるがまま」を大事にしすぎて「あるべき」が疎かになってしまった、これが今日の教育の困難をもたらしている、という彼の論は刺激的で、ぼくはまた筆を取ってしまいました。ぼくの論点は「あるがまま」と「あるべき」とは決して二律背反ではないというところにあります。
 「果たして“あるがまま”と“あるべき”とは、あなたが言われるように矛盾する関係だろうか、というのがぼくの基本的な疑問です。むしろ、自分の“あるがまま”が深いところで受け入れられていると感じられるところから、はじめて“あるべき”が本当の意味で動き出すのではないだろうか、と考えるのです。逆に、“あるがまま”が否定されているという絶望から、もうどうなってもいいという自堕落や、あるいはリストカットに象徴される自己破壊衝動が生まれるのではないか。」

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