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「生きる目的」と「生きる価値」 [生きる意味(その31)]

(2)「生きる目的」と「生きる価値」
 これまで曖昧なままにしてきましたが、「生きる意味」ということばには、「生きる目的」と「生きる価値」という二様の使い方があります。ですから、「生きる意味」について考えるにあたって、「何のために生きるか?」と「生きる目的」を問うのか、それとも「生きることは素晴らしいか?」と「生きる価値」を問題にするのか、この二つを分けなければなりません。
 これまで後者の意味で、つまり「生きる価値」を問題にしてきました。何故かと言いますと、前者の「何のために生きるか?」は一般的な問いにならないからです。それこそ「人それぞれ」だからです。
 ぼくがまだ学生だった頃、フランスにサルトルという哲学者がいて、ベトナム反戦運動の先頭に立つなど、世界中の若者から「行動する知識人」として尊敬されていました。そのサルトルの有名なことばに「実存は本質に先立つ」というのがあります。
 彼は講演の中でこんなふうに説明しています。彼が以前教えた学生が相談にやってきたそうです。時は第二次大戦中で、フランスはドイツに占領されていました。しかしイギリスに逃れたド=ゴール将軍のもとに自由フランス軍が作られ、国内のレジスタンス勢力と力を合わせてドイツに抵抗していました。
 その青年は母親と二人きりの生活をしていたのですが、兄を殺したドイツ軍と戦うために自由フランス軍に身を投じるか、それとも彼だけが頼りの母親のもとに留まるか、その選択に迷ってサルトルを訪ねてきたのです。

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