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実存は本質に先立つ(つづき) [生きる意味(その33)]

(4)実存は本質に先立つ(つづき)
 「実存」とは「ぼくが今ここにいる」ということです。「本質」とは「ぼくが何のために生きているか」ということです。ですから「実存は本質に先立つ」とは、「ぼくは、自分が何のために生きるかが前もって与えられてない世界に、気がついたらもうすでにいた」ということです。
 もし逆に「本質が実存に先立つ」のであれば、「ぼくは何のために生きているのか」が前もって与えられています。例えば目の前にある机のように人間が作ったものであれば、それが何のためにあるかは、あらかじめ決まっています。
 変な想像をしてみましょうか。この机、名前をデス君と言いますが、ある時何か嫌なことがあって人生をはかなみ、「あーあ、ぼくって一体何のためにここにいるんだろう」と思ったとしましょう。でも心配御無用、その答えはちゃんと用意されています。デス君は自分を作ってくれた人間さまに聞けばいいのです、「あの、ぼくって何のためにいるのですか」と。
 人間さまはきっと親切に教えてくれることでしょう、「それはな、われわれ人間が本を読んだり、書類を書いたりするためだよ。時々行儀の悪い人間が腰を下ろすがね」と。それを聞いたデス君は自分の「生きる目的」を確認できてさぞかし安心することでしょう。
 ですから、キリスト教徒がそう信じているように、もし神さまがわれわれを造ったのでしたら、われわれの「生きる目的」もあらかじめ決まっています。だって、神さまはわれわれを造るに当たって、何か意図があったに違いありませんから。

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