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「痛い!」 [生きる意味(その43)]

(14)「痛い!」
 ぼくの痛みを医者が自分の痛みとして感じることはできないという意味では、痛みは確かに「プライベート」でしょうが、それを医者が十分理解してくれるという意味では「パブリック」です。ぼくの痛みはぼくの中に閉じられている訳ではないのです。
 ぼくが痛みを隠して何食わぬ顔をしていたら、ぼくの痛みはぼくに閉じられているでしょうが、それでも何かの拍子に外に表れるものです。膝に激痛が走った時には思わず顔をしかめてしまいますし、歩き方もぎこちなくなってしまいます。痛みは思ったほどプライベートではないようです。
 痛みの現場を直撃してみましょう。ぼくは左膝に古傷があり、それが思いもかけない時に鋭い痛みをもたらします。そんな時思わず「痛い!」と叫びます。間違っても「ぼくは痛い」とは言いません、ただ「痛い!」と言います。
 このぼくが「痛い!」と言っているのですから、「誰が痛い?」などと聞く人はいないと思いますが、もしそう聞かれたら「ぼくが痛い」と言うでしょう。そして「どこが痛い?」と聞かれたら「左膝が痛い」と答えます。
 よく日本語は主語を省略することが多いことばだと言われますが、「痛い!」とだけ言って「ぼくが痛い」と言わないのは、決して本来の形を省略しているのではありません。逆です。本来の形が「痛い!」で、必要に応じて「ぼくは」や「左膝が」を付け足しているのです。

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