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“Ouch!” [生きる意味(その44)]

(15)“Ouch!”
 英語だって“Ouch!”です。それを誰かに伝えなくちゃとなってはじめて“I have felt a sudden pain in my knee .”となる。
 同じような例には事欠きません。不用意に鍋に触って思わず「熱い!」と叫びますし、大地震の時など「怖い!」と言います。「痛い!」や「熱い!」や「怖い!」などの一語文は、事実を描写しているのではありません。その時の感覚や感情を吐露しているだけです。
 「痛い!」と言う時、「誰が」も「何が」もありません。ですから、それに「ぼくは」を付け足しても構いませんが余分です。「ぼくは」を付けるのは「誰が?」と聞かれるからです。そしてそう付け足しますと、単に感覚や感情を吐露する文から、誰かに事実を伝達する文へと変質しています。
 さほど根拠のない推測にすぎませんが、人間が最初に発したことばは、こういった感覚や感情を吐露する一語文ではなかったでしょうか。それは動物たちの叫び声とそれほど違わなかったはずです。それが、長い時間をかけて主語・述語を持つ文へと進化していったのではないか。
 これはいつか機会があったら追究してみたいと思っているのですが、感情を吐露する原始的な一語文が、一方では「事実を伝達する文」へ、そして他方では「意思を陳べる文」へと分化したのではないか。感情を吐露する原始文は主客未分ですが、それが事実を伝達する客観的な文と、意思を陳べる主観的な文とに分化したのではないかという推測です。

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